『その後ろに、その前に…』
冷たい風は吹いていなかった。ほとばしる汗が輝いた。そんな12月の夜空に、真っ直ぐ拳が突き上げられる。一方で、肩を落とし、大きくうなだれる者達がいる…。そこには勝者と敗者がいた。ただ、どちらにも、涙を流す者がいた。もちろん、それが持つ意味は、両者で大きく異なる。それでも、彼等の頬を伝うそれは、同じく奇麗だった。
「FIFAワールドカップカタール2022」が幕を閉じた。日本代表の激戦はもちろんのこと、W杯史に残るような名勝負となった決勝戦を初め、4週間に渡って繰り広げられた、数多の熱戦に興奮した。
少し前の話題にはなるけれど…このワールドカップの熱戦も含め、何かとこの“戦い”というものがクローズアップされ、今年一年の世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」には、『戦』が選ばれた。
そう、少し前の話題だ…。今さら僕が何を言うでもない。世相を振り返る前に、忙しない年末を乗り切らなければならない。まだ、年末の“戦い”が残っている。
いずれにしても、ワールドカップが幕を閉じた。リオネル・メッシが拳を突き上げたカタールの空も、この寒さ厳しい夜空も、同じ空だ。そして、この同じ空の下、まだ、戦いを余儀なくされている人々もいる。
今年の漢字が、『戦』でも構わない。ただ、その一字の後ろに、“争”も“場”も“火”もいらない。望むのは、その一字の前に、“終”という文字だけだ。
様々な、“戦い”がある。ただ、それが終わった後に、勝者と敗者の頬を伝うものが、同じく奇麗ではないそれは…この空の下には不要であると、信じたい。
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『12月の花火』
氷だけになったグラスが水滴で滲んだ。「花火でもやりたいな」と彼が言った。聞き覚えのあるビリー・ブラッグの歌が微かに漏れた。大きく息を吐き出すようにゆっくりと、「冗談だよ」と言って、彼は笑った。溶けかけの氷が音を立てた。
明日の天気予報を見ていたら、大学時代の友人から電話があった。声を聞くのは久しぶりだった。時計はまだ、22時を回っていなかった。
「結局、4人だけだ」と残念そうに彼は言った。
先月の終わり頃、彼から連絡があり、今年は久しぶりに忘年会でもやろうと誘われた。大学時代の仲間の、いつもの8人に声をかけると言っていた。
「つい三年前までは、なんだかんだで、毎年、ほとんど全員が集まったのにな」と彼は言った。
「仕方ないさ」と僕が言った。グラスに注いだ冷たい烏龍茶を一息で飲んだ。
本当に仕方ないと思った。そして、慣れてしまっていた。些細なことから特別なことまで、僕達はこの数年、あらゆる“仕方ない”で埋め尽くされた日常を生きてきた。
「4人しかいないんだし、何か珍しいことでもしようぜ」
「例えば?」
「そうだな…」と彼は言った。「花火でもやりたいな」
大学を卒業して3、4年が経った頃だと思う。その年は何故だか、友人の一人が住む神奈川の平塚で忘年会をした。
今にして思えば、社会人にもなって、ただのはた迷惑な酔っ払いでしかないのだけれど…二軒目のあとに、全員で夜の砂浜に行った。知らない間に誰かがビールと花火を買ってきていた。誰からともなく花火に火を灯し、何も考えずに、ただはしゃぎまくった。そして、気が済んだのか、酔っ払い過ぎたのか、最後は全員で、静かに海で夜を明かした。
「冗談だよ」と彼が笑った。
今までと変わったのは、世界や当たり前の日常だけではない。何より、僕たちなのだろう。
世界や日常は形を変えながらも、失ったものを取り戻すだろう。僕達はそうではない。そうではないけれど…
あの日、花火の光は刹那に消えた。でも…
電話の切り際に「なぁ、覚えてるよな」とだけ、彼は言った。
「もちろんさ」
ビリー・ブラッグは、もう聞こえなかった。氷がほとんど溶けていた。
でも、何かが残っている。何かが光っている。
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『100ギガバイトの彩り』
捨ててしまえばいい。それで済むことなのだろう。ただ、四季が連なって一年を織りなすように、連続する今日までの時間の蓄積が、人を形作っている。その何処かを切り取って、簡単にゴミ箱に捨ててしまうことなんて…
まぁ、ちょっと大げさだけれど。
今日、Googleアカウントのストレージ使用容量が、15GBを超えた。数週間前から、残容量が少なくなってきたと警告を受けていた。
僕自身の感覚では、そんなに写真や動画を撮る方ではないと思っている。ドキュメントやGmailも、個人アカウントでは、それほど使用してはいないつもりだ。
そして、僕なりに不要だと思うものを、デリートしながら使用してきたのどけれど、今日、限界が来てしまった。
15GBほど使用していることが、多いのか少ないのかは分からない。上述したようにあまり使用頻度が高くないと思っている僕が到達してしまうのだから、とっくに越えている人の方が多いのかな?と、思っているのだけれど。
いずれにしても、仕方ないので、Google Oneで、一番ストレージの少ないスタンダードの100GBのプランに加入した。
まぁ、違うクラウドサービスや外部メモリに保管したり、他にもいくらでも方法はあるのだろうけれど、僕の中では一番シンプルに感じて、それに決めた。
そして今、ストレージ管理の画面には「4年分以上の保存容量が残っています」という文言が、高らかに記されている。なんでも、バックアップ頻度を参考にした予測だそうだ。
それにしてもここ数週間は、現在から過去専用のタイムマシーンでも手に入れたように、時を遡っては今に帰り、思い出に触れては現状を噛みしめる日々だった。
あの時、あの瞬間の写真や動画に映る、様々な人や様々な景色が、今は連絡を取ることもなくなった誰かとの鮮明なメールのやり取りが…久しぶりに色彩を得て、物語を得て、今の僕を捉えた。
捨ててしまえばいい。それで済むことなのだろう。実際、それは容易なことだ。そもそも、過去にとらわれることを、嘲笑する人もいるだろう。
ただ、僕は捨てきれなかった。思い出を大切に…というのとも違う。まぁ、なんとなくだ。
この15GBが、今の僕を形作っているというのは、もちろん大げさだけれど、今の僕のどこかしらで、ひっそりと息をしながら…或いは姿を変えながら、何かを与えてくれているのかもしれない。
この冬から先、また4度の冬を越えて、4度の春を迎える頃、その日までの85GBは、今ここにある僕と連なって、その時の僕に、いったい何を与えてくれているのだろうか?
おそらく…大切なのは、容量だけではなく、その彩りなのだろうけれど。
※ 表題の写真は、当該文章とは関係性がなく、ストレージ内にあるものを使用しただけとなります。ご容赦お願い致します。
『ささやかな冬の華』
ささやかな“冬の華”に、どうしてだか落ち着いた。地元の人がSNSに投稿しているのを何度か見かけたけれど、カメラのレンズを向ける人も、今日はいなかった。申し訳ないけれど、少し笑ってしまった…
今日は、来週に迫った旅行に持っていくバックを用意しようと、表参道に出かけた。
手持ちの物でも良いのたけれど、“ニューノーマル”が始まってから初めての…久しぶりの旅行なので…新しいものが欲しくなった。
ただ、旅行と言っても一泊だし、気心の知れた友人との二人だけの旅なので、荷物も必要最低限のものしか持っていかない。それに見合うサイズのバックを探したかった。
都合良く、簡単に見つかるものかな?なんて、少し危惧していたのだけれど…お目当てのものは、意外とあっさり見つかった。
とりあえず…と、好きなブランドのお店に入ると、パッと目に入ったものが気になって、手に取らせてもらった。元々の好みとして、カラーはブラック一択なので、あとはサイズ感と、中の細部を幾つか確認して…即決した。
ただ、「他にお探しものは?…」と店員さんに聞かれ、何気なく見回し、やはりパッと目に入ったレザーグローブに、心奪われた。試しにはめさせて貰うと、心地良くフィットし、腕時計の邪魔もせず、すっかり気に入った。
「新しいバッグを持つ手には、新しい手袋がしっくりくる…」なんて、根拠のない論理で自分の背中を押して、衝動買いをしてしまった。
このままうろちょろしていると、旅行前に無駄な出費がかさんでしまいそうなので…欲しかった本と頼まれていたお菓子だけを買って、お茶もせずに表参道を後にした。
帰りの千代田線は乗客もまばらだった。スマートフォンで夕刊を読んでいると、『冬の華、SDGsで』という記事が目に留まった。
イルミネーションを“冬の華”と称したその記事は、電力量の抑制やボタニカルライトなど、最近ではイルミネーションにも環境配慮の取り組みが広がっていることを伝えていた。
六本木ヒルズのイルミネーションについても記事にあった。そう言えば…六本木ではなく、表参道ヒルズでの買い物だったけれど、日没の少し前に街を離れたので、まだイルミネーションが輝いてもいなかったことを思い出した。
少しウトウトしながら、電車に揺られて…気付いた頃には、微かに開いた目に見慣れた建物や景色が広がり、地元の駅に着いていた。
さすがに喉が乾いていた。風が冷たかったけれど、アイスコーヒーが飲みたくなって喫茶店に向かおうとした。日が落ちて、すっかり暗くなった夜空に、少しだけ欠けた月が輝いたていた。
ただ、当たり前のように、もう一つの輝きが目に入った。
この冬、何度も目にした駅前広場のイルミネーションだった。
数多あるイルミネーションの中でも、屈指の知名度を誇る表参道のそれから、電車一本で、少しうたた寝をしている間に着いてしまう駅のイルミネーションは…この駅のイルミネーションは…ひどくささやかなものだ。
どうしてだか、街の名前を光でかたどるという独特のユーモアに?センスに?正直、首を傾げる人が少なくないらしいのだけれど…僕には微笑ましく、ニヤけてしまう。
そして、不覚にも?落ち着いた気分になる…
来週、新しいバックを新しい手袋で持った僕は、旅の帰りに、おそらくもう一度、このイルミネーションを見るだろう。そしておそらく、同じように落ち着いた気分になるのだろう。
何か違うものを求めて、人は自分の街を出る。そして、同じものを求めて、人は自分の街に戻る。
寒い冬空のもと、僕が何所にいても、この街に戻れるように、帰れるように、ささやかながらも、それは“冬の華”を咲かせてくれているのかもしれない。
『終わりと始まり』
電車が走り出す音、電車が停まる音…それぞれが、或いは双方が交差しながら、夜明けと共に静かに届く。その音で、朝の訪れを、そして一日の始まりを知る日々が、少し続いている。
昨日も今日も、そんな朝に…“今宵も…閉店に寄せて”なんて、的はずれな事を言って、ダラダラと長い言葉を連ねてしまっているわけだけれど…
まぁ、その以前から、閉店時間を大きく離れ、とっくに電車の走らない深夜に更新を続けているので、さほど変わりはしないのだけれど、昨日、今日はさすがに…
簡単に言ってしまえば、僕個人として、ここ数日はひどくせわしない。予定通り忙しく、予定外のことで、さらに忙しさを深め、バタバタとしている。そしてその割には、昨日お伝えした通り、無駄に一駅余計に歩いたりして…事態を混迷化させている(笑)
ただ、そんな日々の中でも、前にも確かTwitterで、同義の言葉を呟かせて頂いたのだけれど、一日の終わりを一つの文章で終わらせて貰うことは、僕にとっては、なかなか悪いものではない。もちろん、現状は“一日の終わり”を“一日の始まり”に記させて頂いているわけだけれど…ご迷惑でなければ、暫く…お付き合いのほど、お願い致します。
電車が走り出す音、電車が泊まる音…出発点と到着点…。駅は始まりであり、終わりでもある。同様に、僕にとっての朝は今、始まりであり、終わりでもある。
僕に朝を知らせる電車の走る線路が、やがて一つの線となり、どこまでも続くように、この一日の連なりが日々を織りなし、続いていく。
せわしない中でも、それが曖昧であやふやにならないように、しっかりと心に留めておきたい。この拙い筆で、終わりと始まりを記しながら。