『フィナーレ』
「友よ、拍手を!喜劇は終わった。」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン…楽聖が、最期に残した言葉だ。彼は、自らの人生を喜劇と捉えた…
今日で当店は、本年最後の営業を終えた。暦もあと数日で、今年に幕を降ろす。
フィナーレを迎える僕達の一年は、この一年は、喜劇だったのだろうか、それとも悲劇だったのだろうか…
ひょっとしたら、この一年というのが、適当ではないのかもしれない。突然に、僕達の毎日を、今までの日常を、簡単にひっくり返し、今でも姿を色濃くする、この件の感染症が広がりを見せたあの頃からが幕開けであり、今なお、その劇の最中にあるのかもしれない。
ロミオ&ジュリエットよろしく、悲劇と喜劇は背中合わせで、往々にして紙一重だ。久しくこの感染症が描く僕達の日々も、ひどく悲しいニュースや現実を突きつけると同時に、時に、思わず笑ってしまうような、ひどく馬鹿げた茶番のような側面を持ち合わせていることも確かだったりする。
いずれにしても、あの頃幕を開けた悲劇とも喜劇とも煮え切らないこの毎日が、フィナーレを迎える気配はまだない。或いは、もうそれは、一度幕切れし、新しい日常という、新しい劇中を生き始めたばかりなのかもしれない。
どちらにせよ、僕達は僕達に、まだ拍手を促すことは出来ずにいる。
それでも、僕達に出来ることに変わりはない。もちろん、変えていかなければならないこと、進めていかなければならないことは大いにあるだろう。ただ、僕達がすべきことに変わりはない…
楽聖こと、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、言うまでもなく、音楽史にとって極めて重要な作品と影響を遺した。一方で、彼が遺したとされる幾つかの大切な言葉も伝えられている。
彼は言う…
「人間はまじめに生きている限り、必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。しかし、それを自分の運命として受け止め、辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強くその運命と戦えば、いつかは必ず勝利するものである。」
僕達に出来ることに変わりはない。僕達がすべきことに変わりはない。
この悲劇とも喜劇とも分からない日常に訪れるフィナーレに、万感の拍手が鳴り響くまで…
いずれにしても、今日で当店は、本年最後の営業を終えた。暦もあと数日で、今年に幕を降ろす。フィナーレだ。
そう言えば、ベートーヴェンの遺したこんな言葉も聞いたことがある。
「一杯のコーヒーはインスピレーションを与え、一杯のブランデーは苦悩を取り除く。」
新しい年が幕を開け、再び当店が暖簾を掲げる時…コーヒーではないかもしれない、ブランデーではないかもしれない、それでも、そんな一杯をもたらすことのできる店であれたら…そう願い、そう努めたい。
迫る年の瀬…そろそろ盛んに、「第九」が聴こえてくる頃だろう。
※ 表題の写真は、当該文章とは関係性がなく、撮り溜めた画像をランダムに使用しただけとなります。ご容赦お願い致します。
『もし僕らのことばが…』
昼下りの大阪には、雨が落ちていた。伊達メガネをかけて、コートの胸ポケットに挿していたサングラスをバッグの奥にしまった。駅への連絡橋から、複雑で奥行きのある街を見下ろした。
「ザ・マッカラン ダブルカスク12年…」
友人を傍らに、思わず、そう声を漏らした…
その前日から僕は大阪にいた。何度も書かせて頂いた先日の旅行先が、この大阪だった。
ひどくささやかなものなので、いずれ機会があったら…という事で割愛するけれど、一応、今回の旅には目的があった。
その目的を終え、いやその最中も、いやいやその前の新幹線の車内から…これまた、先日も書かせて頂いた通り、一緒に旅行した友人と僕は、“タイタニック号が沈むぐらい”ビールとハイボールを飲んだ(何故タイタニック号なのか…についても、いずれ、機会があったら…)。もちろん、それが“目的”ではないのだけれど。
いずれにしても、目的も、ちょっとした観光も、食事も、全てを終えた初日の最後に、つまり、一日とは言え、大阪を堪能した後に、僕達はたまたま通りかかった『ハイボールバー梅田1923』というハイボール専門店にいた。駅と僕達が泊まるホテルにほど近く、25時まで営業している…何も文句はない。
モダンな雰囲気でいて、ノスタルジックな空気とレトロな香り漂う店内に、すっかり落ち着きながら、友人は白州の、僕はザ・マッカラン ダブルカスク12年のハイボールを飲んだ。
彼も僕も、もう口を開かなかった。必要がなかった。黙って、ただハイボールを飲んだ。
僕達の他に何組かいた客も、隣のテーブルでボッテガヴェネタのイントレチャーチに覆われたiPhoneを握りしめる女性と、その向かいで、元々テーブルに置かれているミックスナッツを食べずに見つめるだけのその友人らしき女性も、皆、黙ってハイボールを飲んでいた。
どのくらい時間が経っただろう。何杯目かのお互いのグラスが空きそうになった頃だった。
「かなり前だけど、シングルモルトウイスキーを巡る旅行記みたいな本を、お前に借りたよな?」突然、友人が口を開いた。「何ていう本だったかな?」
「かなり前の話だな」と僕は笑った。「おそらく…『ことばがウィスキーで』とか…そんなやつだろ?」
「そんなやつ?」と彼が言った。
「あまりにも昔過ぎて、よく覚えてないんだ」
「嘘をつくな」と言って白州を一口すすり、「お前が、一度読んだ本を忘れるわけないだろ」と彼は言った。
「かなわないな」と言って「まぁ、俺はそういうタイプだな」と、僕は笑った。「悪かった。ちょっと思い出したくないこともあって…。まぁ、いずれにしても、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』というエッセイを、ずっと昔にお前に貸したよ」
僕がそう言うと、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と繰り返して、彼は満足そうに頷いた。そして「この旅行はどうだ?」と言って、わずかに残った白州ハイボールを飲み干した。
「どうって?」
「大阪はどうだってことだよ」
いつの間にか、隣の女性二人の姿がなく、テーブルもすっかり片付けられていた。僕は彼の質問に答えないまま、ハイボールを飲み干して、店員を呼んだ。
そして「僕に同じものを一杯、彼にも僕と同じものを一杯下さい」と伝えた。友人はただ僕を見つめた。
ほどなくして、“ザ・マッカラン ダブルカスク12年のハイボール”が二つ運ばれてきた。
僕が一口飲むのを見てから、彼もゆっくりと一口含んだ。
「なるほどな」と彼は言った。とても静かな声だった。
彼はもう一口飲んでから、「確かに…」と言って、何かをしっかりと思い出すように一度目を閉じてから、グラスの縁に添えられた干しブドウを食べた。
僕も、もう一口飲んだ。もう、ことばは必要なかった。
グラスを傾けた反対側の腕で、時計がそろそろ25時に近付いていた。
『クリスマス・イブの色』
旅先で撮ったクリスマスツリーをセピア色にした。どうしてだろう?たくさんの人だかりをくぐり抜け、レンズ越しにそれを覗いている時からそう思っていた。このツリーをセピア色にしようと…
カメラが不得手で、元々ピンボケの感は否めないのだけれど、本来は冬空が、深まるように碧く、広がるように蒼く、それでも透き通るように青いイルミネーションに覆われたツリーだった。ひどく、美しかった。
ただ、セピア色にした。
12月24日は、クリスマスイブは、特別な一日だ。今日、この日がそうではなくても、昔は…過去には…そう思えた時を、瞬間を、過ごした人も多いと思う。
美しい青が、或いは鮮やかな赤と緑が、色を失いモノクロームとなり、長い時を経てセピアに変わる…だったら、最初から…というわけではない。
どうしてだろう?おそらくは、あくまで僕の個人的な感覚なのだけれど、クリスマスらしい色のイメージが、セピア色なのだと思う。
赤や緑も良い。ホワイトクリスマスの白も素敵だ。ただ、セピア色なのだと思う。
冬の乾いた夜空を射す色とりどりのネオン、胸が踊る気の利いたクリスマスソング、何かしらの奇跡でも信じるように真っ直ぐに互いを見つめ合う様々な恋人達…
街は煌めいている。
それをレンズに収める。セピア色にする。ただ…イルミネーションは、輝きだけは、セピア色にならない。金色になる。金色となって、より煌めく。いつまでも、より煌めく。
今日この日でも、昔でも、過去でも…この特別な一日の色は、クリスマスイブの色は、より煌めくその色だ。
今あるその煌めきに
過去のその煌めきに
煌めき続ける、12月24日に
Merry Christmas…
『風のようなもの』
風に姿は無い。僕は、風を見ることができない。ただ、風は音を奏でる。その音に、僕は風を知る。
それだけではない。舞い上がる落ち葉や、野球少年の飛ばされたキャップ、そして、何処かの家から漂うクリームシチューの甘い香りが、僕に風の輪郭を知らせる。
今日は風の強い一日だった。風は音を立てて吹き抜けながら、色々なものを見せ、色々なものを香らせた。
首に垂らしたマフラーが何度も飛ばされそうになり、手に持ったガーメントバッグが何度も煽られた。
そのバックの中には、先日、旅行に着ていったグレーのジャケットが入っていた。
フラップポケットの周辺に、いつの間にかシミが出来ていて…今日は、地元の駅ビルに入っているクリーニング屋さんに、染み抜きを頼みに来た。
おそらくは、旅先の夜、最後に入ったハイボールバーで、何かをこぼしたのだろうけれど…明確には覚えていない。
一緒に旅行に行った友人にも聞いてみた。ただ、彼もあまり覚えていないらしい。
「そんなに飲んだかな?」と僕が尋ねると、彼は一つため息を付き「新幹線から始まって…相当だ」と言った。「俺達が飲んだビールとハイボールで、タイタニック号が沈むぐらいにな」
とりあえず、クリーニング屋さんが、シミ抜きを引き受けてくれた。そして、おそらくは元通り綺麗に戻せると言ってくれて、ホッとした。
駅ビルからコンコースを抜け、改札の入り口付近に出ると、赤と白の服を着た女性が何やらチラシを配っていた。大きく自家製と書かれたローストチキンのそれだった。
そうだ。明日はクリスマス・イブだった。一年に一度の特別な一日だ。誰にとっても素敵な一日になると良い。
駅のホームにも強い風が、音を立てて吹き抜けた。
僕達が豪華客船を沈没させるほどビールやらハイボールを飲んだ旅行の一日は、ただの一日だ。煌びやかなイブとは異なる、どこにでもある一日だ。
それでも…僕達には何かが残る。特別な何かが残る。
ジャケットのシミが消えても、酔っ払って記憶が曖昧でも、何かが残る。残っている。
それは風のようなものだ。それに姿は無い。僕はそれを見ることができない。それで十分だ。
※ 表題の写真は、当該文章とは関係性がなく、撮り溜めた画像をランダムに使用しただけとなります。ご容赦お願い致します。
『篝火花』
朝方から降っていた雨が、すっかり上がっていた。昼下りの濡れたアスファルトに陽が射すけれど、冷たい空気が乾きを許さなかった。
昼食をとって、窓の外を眺めながら、ぼんやりとコーヒーを飲んでいた。
ふいに、テーブルの上でスマートフォンが小刻みに震えた。まるで、寒さに耐えかねているようだった。
先日、旅行の際に、新幹線の車窓から覗く富士山をカメラに収めた。その写真を送って欲しいと、友人からメッセージが届いていた。
お望み通りに画像を送ってから、Googleフォトをスクロールしていて、ピンク色の花に目を奪われた。休日に何気なく写したシクラメンだった。
家の前に、花屋さんがある。と言っても、今は営業をしていない。ただ、ご実家は今でも花屋を営まわれていてる。昔から毎年、年の瀬にシクラメンを買っていた名残りで、今はこの時期に、花屋さんが実家から選んできてくれたシクラメンを届けてくれる。
今年は、ピンク色のそれだった。
「ピンク色のシクラメンの花言葉は、『憧れ』なんだよ」と、花屋さんが言った。
葉の隙間から、土に挿された『篝火花』という札が覗いた。
「篝火花(かがりびばな)は、シクラメンの和名だね」と、教えてくれた。
「それじゃあ、良いお年を」と言った後で、「まだ早いかな?」と笑った。
僕達は、新しい年を迎えるにあたって、“年忘れ”と称し、今年の苦労を忘れようとする。
ただ、何かを忘れるために、何かを準備する。一つを減らすために、一つを増やす。例えば、新たな年への憧れの如き、可憐なピンク色の花を…
コーヒーカップを洗ってから、上着を羽織って外に出た。目に映る柔らかな陽差しとは裏腹に、冷たい空気が一瞬で肌を冷やした。
朝の雨を忘れられないみたいに、アスファルトはまだ、濡れていた。