『ささやかな冬の華』
ささやかな“冬の華”に、どうしてだか落ち着いた。地元の人がSNSに投稿しているのを何度か見かけたけれど、カメラのレンズを向ける人も、今日はいなかった。申し訳ないけれど、少し笑ってしまった…
今日は、来週に迫った旅行に持っていくバックを用意しようと、表参道に出かけた。
手持ちの物でも良いのたけれど、“ニューノーマル”が始まってから初めての…久しぶりの旅行なので…新しいものが欲しくなった。
ただ、旅行と言っても一泊だし、気心の知れた友人との二人だけの旅なので、荷物も必要最低限のものしか持っていかない。それに見合うサイズのバックを探したかった。
都合良く、簡単に見つかるものかな?なんて、少し危惧していたのだけれど…お目当てのものは、意外とあっさり見つかった。
とりあえず…と、好きなブランドのお店に入ると、パッと目に入ったものが気になって、手に取らせてもらった。元々の好みとして、カラーはブラック一択なので、あとはサイズ感と、中の細部を幾つか確認して…即決した。
ただ、「他にお探しものは?…」と店員さんに聞かれ、何気なく見回し、やはりパッと目に入ったレザーグローブに、心奪われた。試しにはめさせて貰うと、心地良くフィットし、腕時計の邪魔もせず、すっかり気に入った。
「新しいバッグを持つ手には、新しい手袋がしっくりくる…」なんて、根拠のない論理で自分の背中を押して、衝動買いをしてしまった。
このままうろちょろしていると、旅行前に無駄な出費がかさんでしまいそうなので…欲しかった本と頼まれていたお菓子だけを買って、お茶もせずに表参道を後にした。
帰りの千代田線は乗客もまばらだった。スマートフォンで夕刊を読んでいると、『冬の華、SDGsで』という記事が目に留まった。
イルミネーションを“冬の華”と称したその記事は、電力量の抑制やボタニカルライトなど、最近ではイルミネーションにも環境配慮の取り組みが広がっていることを伝えていた。
六本木ヒルズのイルミネーションについても記事にあった。そう言えば…六本木ではなく、表参道ヒルズでの買い物だったけれど、日没の少し前に街を離れたので、まだイルミネーションが輝いてもいなかったことを思い出した。
少しウトウトしながら、電車に揺られて…気付いた頃には、微かに開いた目に見慣れた建物や景色が広がり、地元の駅に着いていた。
さすがに喉が乾いていた。風が冷たかったけれど、アイスコーヒーが飲みたくなって喫茶店に向かおうとした。日が落ちて、すっかり暗くなった夜空に、少しだけ欠けた月が輝いたていた。
ただ、当たり前のように、もう一つの輝きが目に入った。
この冬、何度も目にした駅前広場のイルミネーションだった。
数多あるイルミネーションの中でも、屈指の知名度を誇る表参道のそれから、電車一本で、少しうたた寝をしている間に着いてしまう駅のイルミネーションは…この駅のイルミネーションは…ひどくささやかなものだ。
どうしてだか、街の名前を光でかたどるという独特のユーモアに?センスに?正直、首を傾げる人が少なくないらしいのだけれど…僕には微笑ましく、ニヤけてしまう。
そして、不覚にも?落ち着いた気分になる…
来週、新しいバックを新しい手袋で持った僕は、旅の帰りに、おそらくもう一度、このイルミネーションを見るだろう。そしておそらく、同じように落ち着いた気分になるのだろう。
何か違うものを求めて、人は自分の街を出る。そして、同じものを求めて、人は自分の街に戻る。
寒い冬空のもと、僕が何所にいても、この街に戻れるように、帰れるように、ささやかながらも、それは“冬の華”を咲かせてくれているのかもしれない。
『終わりと始まり』
電車が走り出す音、電車が停まる音…それぞれが、或いは双方が交差しながら、夜明けと共に静かに届く。その音で、朝の訪れを、そして一日の始まりを知る日々が、少し続いている。
昨日も今日も、そんな朝に…“今宵も…閉店に寄せて”なんて、的はずれな事を言って、ダラダラと長い言葉を連ねてしまっているわけだけれど…
まぁ、その以前から、閉店時間を大きく離れ、とっくに電車の走らない深夜に更新を続けているので、さほど変わりはしないのだけれど、昨日、今日はさすがに…
簡単に言ってしまえば、僕個人として、ここ数日はひどくせわしない。予定通り忙しく、予定外のことで、さらに忙しさを深め、バタバタとしている。そしてその割には、昨日お伝えした通り、無駄に一駅余計に歩いたりして…事態を混迷化させている(笑)
ただ、そんな日々の中でも、前にも確かTwitterで、同義の言葉を呟かせて頂いたのだけれど、一日の終わりを一つの文章で終わらせて貰うことは、僕にとっては、なかなか悪いものではない。もちろん、現状は“一日の終わり”を“一日の始まり”に記させて頂いているわけだけれど…ご迷惑でなければ、暫く…お付き合いのほど、お願い致します。
電車が走り出す音、電車が泊まる音…出発点と到着点…。駅は始まりであり、終わりでもある。同様に、僕にとっての朝は今、始まりであり、終わりでもある。
僕に朝を知らせる電車の走る線路が、やがて一つの線となり、どこまでも続くように、この一日の連なりが日々を織りなし、続いていく。
せわしない中でも、それが曖昧であやふやにならないように、しっかりと心に留めておきたい。この拙い筆で、終わりと始まりを記しながら。
『一つ先の駅』
歩道いっぱいにイチョウの落ち葉が敷かれていた。その鮮やかな黄色に足を取られないように注意しながら、一人並木通りを歩いた。少しかしこまった靴を履いて来てしまい、後悔した。
ただ、通りを抜けて駅前に出ると、歩きやすさに促されるように、少し気分が変わった。昨日よりいくらか陽気が良かったのも相まって、電車に乗らずに、歩き続けた。
今日は朝から、あまり歓迎できない連絡や出来事が幾つか重なって、天候とは裏腹に、晴れやかな気分にはなれずにいた。
大将に、辣油を買ってきて欲しいと頼まれていて、時々、担担麺を食べに寄る中華屋さんに来たのだけれど、中途半端な時間になってしまったところに、曇った心持ちが上塗りされて、何もいただかずに辣油だけ買って店を出た。そして一人並木通りを歩いて、駅に戻っているところだった。
その中華屋さんは、担担麺がとても美味しく、地元では評判の店で、昼時には列が出来ている。大将と僕は、担担麺もさることながら、レジの横で瓶詰めで売られている香り高い辣油が好きで、来店の度に買って帰っていた。
春先はよく、大将がその辣油と筍で、ピリ辛の穂先メンマを作ってくれる。これがまた、いいアテになり、紹興酒はもちろん、ビールやハイボールがすすむ。冬には何を作るのだろう。まぁ、何かしら美味しいアイデアが浮かんだのかもしれない。
その辣油を二瓶持ちながら、久しぶりに歩く、一つ先の駅への道は新鮮だった。様変わりとまでは言わないけれど、何軒か店が変わっていて、何軒か店が閉まったままだった。
昔は頻繁に歩いた道だった。本当によく歩いた。楽しい思いだけでなく、少しだけ胃がジリジリとすることや、胸の奥の方が騒がしかったことも、踏みしめるこのアスファルトに溶け込んでいる。
先程までとは打って変わって足が軽くなった気がした。心なしか、アップルミュージックでランダムに流す音楽は、アップテンポの曲が増えて、辣油をぶる下げた袋も、大きく揺れた。
何度か行ったことのある美味しい鉄板焼き屋さんを越えて、混み合う携帯ショップを横切り、横断歩道の前で止まった。傍らにあった、ボリューム満点のラーメン屋さんが、お洒落なジェラート屋さんに変わっていた。
信号が変わり、横断歩道を左折した。駅前のロータリーに差し掛かった。真っ直ぐ進み続ければば、春には600本の桜が咲き誇るさくら通りに抜けるのだけれど…
袋を強く握った。筍の穂先メンマに、桜…
始まったばかりのこの冬に、気が早すぎると叱られるかもしれないけれど、歩いてきた一つ先の駅への道のりが、一つ先の季節に続いているような気がした。
後ろ髪を引かれながらも、真っ直ぐ進まずに、駅へと向かった。
すっかり日が暮れていて、ホームを吹き抜ける風は、確かに12月のそれだった。
そして、いつもの電車に揺られた。耳元から、ベースの音が物足りない、静かなバラードが流れた。袋の中で、瓶がカチカチとぶつかった。
『冬の夜』
駅のホームから覗く冬の夜空には、笑顔一つ無かった。なるべく無感情を装って、でも丁寧に、一定のリズムで冷たい雨を落としていた。
僕は駅の中にある小さなコンビニエンスストアで、買い物を済ました。少し後ろめたかったけれど、ビニール袋をお願いして、頼まれていたペットボトルの濃いめのお茶とノンアルコールのウエットティッシュと単二の電池と、そして何となく手に取った当たり障りの無さそうなビターチョコレートを入れてもらった。
ひどく冷えてきた。マフラーを顎先まで引き上げた。腕時計を見ると、まだ十分に時間はあった。「単二の電池なんて何に使うんだろう?」そう、ぼんやりと考えながら、いつもの道を歩いた。
空は、相変わらずだった。
家までもう少しというところで、傘も差さずにペダルを漕ぐ若い男の子の自転車が、すれ違いざまに、僕のコートの左袖と手に持つビニール袋を濡らした。
ハンカチでコートに飛んだ水しぶきを払った。袋の中は濡れていなかった。
マフラーを巻き直して、もう一度、空を見た。足元も見て、辺りも見回して、道の先を見つめた。
ただ雨が降るだけの、どこにでもある冬の夜だった。何の意味も持たない、どこにでもある冬の夜だった。
それでも、人によっては、少なくとも僕にとっては、大きな意味を持つ、とても重要な夜になる。もちろん、まるで不要な夜だと言う人もいるだろう。それは人によって異なる。例えば、単二の電池が必要な人もいれば、そうでない人もいるように。
家に着いて、濡れたコートを脱いだ。部屋の中でも、一定のリズムで雨音が聞こえる。ただ、このリズムのまま時が流れ続ければ…もう間もなくだ。もう間もなく、高らかに笛が吹かれ、どこにでもある冬の夜が、人によっては、僕にとっては、重要な夜の始まりとなる。
そして、最後に長い笛が吹かれた時、それは、どこにもなかった、見たこともなかった、特別な夜になっているかもしれない。
ビターチョコレートを一口噛んだ。まるで苦くない。むしろ…甘かった。
『コミットメント』
今日から、Facebookページをスタートした。まぁ、ページ自体は6月ぐらいに開設していたのだけれど、放置してしまっていて…そして、スタートしたと言っても、今のところ、Instagramの投稿をシェアするという形なのだけれど…
だから、シェアされたこの投稿を、いきなりFacebookページだけで閲覧する方がいたとしたら、「???」となるわけだけれど…申し訳ない、勝手ながら、そこはご容赦願いたい。
いずれにしても、Facebookページをスタートした。
Instagramも始めて二週間程度で、正直、まだままならない。Twitterも未だに、覚束ないところが多々あって、フォロワーさんにも相変わらずご迷惑をおかけしてしまったり、申し訳ない状況に変わりはない。それでも…別のことを始めてしまった。
どうしてだろう?
サッカーボール一つで、世界中の誰とでも友達になれるように、平八の鰻の画像一枚で、それが“UNAGI”となって、興味を持った地球の反対側に住む見知らぬ誰かと、関わりを持ち、それが広がり…なんて大それたこと考えているわけではない。
ただ、“関わりを持つ”ということに、何かしらを感じているのかもしれない。
何かから離れるという原義での、そして無関心に近いニュアンスでの「デタッチメント」よりも、人と人との関わり合いというような意味合いでの「コミットメント」に、自分の中にある何かしらが惹きつけられているのかもしれない。そのための可能性やきっかけを、少しでも大きく広げていたいのかもしれない。
それがこの時代や社会の変化によるものなのか、経済環境や飲食業界の変化によるものなのか、或いは、年齢を初めとする、僕自身の個人的な問題なのかはわからない。どれも違うかもしれない。
ただ、「コミットメント」…それに何かしらを感じている。
まぁ…もっと気楽なもののはずだけれど。
いずれにしても、今日からFacebookをスタートした。TwitterもInstagramも、僕なりに、『平八』として、大切に続けていきたい。
いつか、平八の鰻が、“UNAGI”となるその日まで(笑)
なにはともあれ、皆々様、Twitter、Instagram共々、平八のOfficial.Facebookも、これから紆余曲折あるかも知れませんが…何卒宜しくお願い申し上げます。