『篝火花』
朝方から降っていた雨が、すっかり上がっていた。昼下りの濡れたアスファルトに陽が射すけれど、冷たい空気が乾きを許さなかった。
昼食をとって、窓の外を眺めながら、ぼんやりとコーヒーを飲んでいた。
ふいに、テーブルの上でスマートフォンが小刻みに震えた。まるで、寒さに耐えかねているようだった。
先日、旅行の際に、新幹線の車窓から覗く富士山をカメラに収めた。その写真を送って欲しいと、友人からメッセージが届いていた。
お望み通りに画像を送ってから、Googleフォトをスクロールしていて、ピンク色の花に目を奪われた。休日に何気なく写したシクラメンだった。
家の前に、花屋さんがある。と言っても、今は営業をしていない。ただ、ご実家は今でも花屋を営まわれていてる。昔から毎年、年の瀬にシクラメンを買っていた名残りで、今はこの時期に、花屋さんが実家から選んできてくれたシクラメンを届けてくれる。
今年は、ピンク色のそれだった。
「ピンク色のシクラメンの花言葉は、『憧れ』なんだよ」と、花屋さんが言った。
葉の隙間から、土に挿された『篝火花』という札が覗いた。
「篝火花(かがりびばな)は、シクラメンの和名だね」と、教えてくれた。
「それじゃあ、良いお年を」と言った後で、「まだ早いかな?」と笑った。
僕達は、新しい年を迎えるにあたって、“年忘れ”と称し、今年の苦労を忘れようとする。
ただ、何かを忘れるために、何かを準備する。一つを減らすために、一つを増やす。例えば、新たな年への憧れの如き、可憐なピンク色の花を…
コーヒーカップを洗ってから、上着を羽織って外に出た。目に映る柔らかな陽差しとは裏腹に、冷たい空気が一瞬で肌を冷やした。
朝の雨を忘れられないみたいに、アスファルトはまだ、濡れていた。