Vol.51『パエリアと雨の車窓』
車窓を流れる景色が、雨のせいか、いつもよりもぼんやりとしていて、アナログのフィルムを早回しで映し出しているようだった。
それが、変えようのない今日までの過去をフラッシュバックしているのか、或いは、どこかで確定してしまった今日からの未来をアナウンスしているのか、分からなかった。
どう思う?そう尋ねたくても、聞くべき相手は、隣で気持ちよさそうに寝息を立てていた。
電車が最寄り駅の一つ前の駅に着いた。チャプターが変わったように、雨は上がっていた…
先週の土曜日、僕は友人と、上野東京ラインのグリーン車に乗っていた。
その日は、久しぶりに大学時代の友人6人で集まった。一軒目は銀座7丁目のバルで、二軒目はコリドー通りのダイニングバーで、今日までの数年間を埋め合わせるように、グラスを傾けた。そして「また、夏に」と、名残り惜しむように言い合いながら、24時頃に新橋駅で別れた。
地元が同じ友人と僕は、二人で上野東京ラインのホームに向かった。
彼は大学時代の友人というより、中学校からの友人だ。今までも何度もここで筆にしてきたけれど、今でも旅行に行ったり、映画を見に行ったり、頻繁に酒を飲み、食事をする腐れ縁の友人だ。
ただ、僕達は別々の高校と大学に通っていた。つまり、厳密に言えば、今日のメンバーは、僕の大学の友人達ではなく、彼の大学の友人達だ。何故、僕がその集まりに参加をしているかと言えば、大学は違えど、僕にとっての大学時代の友人は、彼等しかいないからだ。僕には、自分の母校に友人がいない。僕は大学時代、必要最低限の授業への出席を除いて、ほとんど自分の学校に通わず、彼等と彼等のキャンバスで過ごしていた。
まぁ、今となっては大した理由でもないので、そうなったいきさつは割愛するけれど…そういうことだ。
「酔ったか?」と、友人が尋ねた。
「それなりにね」と、僕が言った。
「なぁ…」
「うん?」
「グリーン車で帰らないか?」
「オーケー」
僕達は、ホリデー料金の580円をモバイルSuicaで精算して、30分程の僅かな時間と距離だけれど、グリーン車に乗車した。
僕達が乗った車両に乗客はいなかった。リクライニングを倒しながら、友人が言った。
「一軒目で最後のカタラーナの前に、パエリア食べたか?」
「うん、ムール貝をよけながら…少しだけ」
「相変わらずだな」と、彼が笑った。
「パエリアがどうかしたか?」
「いや…」と一度首を振り、帽子を少し目深に被り直し、彼は目を閉じた。
少し冷えたけれど、ストールを外して、僕も目を閉じた。ただ、眠る気もせずに、すぐに目を開けて、仕方なく、窓の外を眺めていた。雨が窓を濡らした。
電車が上野駅に着こうとする頃、ジャケットの胸ポケットで、スマートフォンが震えた。
集まった友人の一人から、今日の写真が何枚も送られてきていた。誰もが、笑っていた…
三年前、僕達を取り巻く状況は、突然に一変した。世界が、時代が一変した。
生活と共に、僕達自身も変わったのかもしれない。
そして、そもそも暫く集まれていない内に、その状況下を迎え、予定が流れに流れ、やっと集まれた今日、僕達は年齢を重ねて、外見も考え方も、大学時代からはもちろん、最後に集まった時から、それなりに変わっていた。
ただ、今、この小さなディスプレイに映る笑顔は、なんだろう?外見ではなく、その笑顔だけは、変わらない彼等のそれだった。そして、考え方ではなく、そこに詰まった想いみたいなものもまた、よく知る彼等のそれであるような気がした。彼等を覆う何かが、年齢と共に丸くなったり、柔らかくなっても、その芯にあるものは、その芯だけは…うん?
なるほど…
隣で寝息を立てる彼に向かって、思わず声に出して言った。
「アイツら…パエリアの米粒だな」
雨は相変わらず、車窓を濡らしていた。濡れたそれが、食べきった後のパエリアのフライパンに見えた。
友人を見た。「お前もだな」と、もう一度声を出して言った。
「バカ…」と、目を閉じたまま友人が言った。「お前もだ」
あと何駅か過ぎれば、僕達の地元の駅に着く。そして、あと何日か過ぎれば、僕達が別れた3月が終わり、僕達がそれぞれに歩き始めた4月が始まる…
雨音は聞こえない。また、友人が寝息を立て始めた。
僕は、小さなディスプレイの中の変わらない笑顔ごと、ジャケットの胸ポケットにしまった。
全てを繋ぎ合わせるように、全てを途切れさせないように、電車は先を急いだ。