Vol.48『100と1つ』Episode.3 fin
あとは、送信ボタンをタップするだけだ。
それが、新たな一年を迎えた彼女に、そしてすぐそこに迫った新たな季節に届き、色を失ってしまったこの世界を再び鮮やかに彩ればいい。
相変わらず寒かったけれど、風が何処からか、穏やかな香りを運んで来た。
24時を回った。新しい一日が始まった。もう、迷わなかった。
メッセージを送った。気の利かない言葉を贈った。
「どうかしている」声に出して、呟いた。
同じ香りの風がもう一度吹いて、それをかき消した。
もう、春のような気がした………
………「無糖のレモンサワーです」店員がすぐに、お酒を運んできた。
「まだ居る?」
「送って行くことは出来ないんだよね?」
「うん」と、彼女は頷いた。
「閉店まで居るよ。お陰様でお酒もツマミもたくさんあるから」と、僕は笑った。
「ありがとう」と言って、彼女は立ち上がった。
彼女は、シンプルな白いタートルニットとデニムの上から、ダブルブレストのオーバーコートを羽織った。そのキャメル色が綺麗だった。ダークブラウンのストールを首にぶら下げた。
「101の1つ目を教えて」と、彼女は言った。
「1つ目は…」と僕は言った。
「1つ目は?」
届いたばかりのレモンサワーを一口飲んでから、僕は言った。
「髪を短くしても…ボブも、似合うところ。僕は君のそんなところが…好きだ」
「何それ?それが1つ目?」そう言って、彼女はこの日一番の笑顔を見せた。
「でも…」と、彼女は言った。僕のプレゼントを掲げて、「これを付けた姿を見せれるように、また伸ばしちゃうけどね」と笑った。
「楽しみにしてるよ」と僕は言った。
「あとは、101番目だけでいいわ」
「えっ?」
「12時を過ぎたら、送ってね」と彼女は言った。
「送るって、文字に残すってこと?」
「そう」と彼女は頷いた。
「それは、恥ずかしいな」
「待ってるね」と、彼女はいたずらに笑った。
僕の返事を待たずに、彼女はお財布を出した。僕が首を降ると、少し躊躇しながらそれをしまって、「ご馳走さま」と言って、頭を下げた。
「今年も楽しかった。ありがとう。」
そう言って、店を後にした。
僕の方こそ…僕も楽しかった…そう言う間もなく、彼女の、友人の背中は消えた。
それだけじゃない。伝えたいことはもっとあった。いっぱいあった。ただ、あまりにも時間が足りなかった……
……レモンサワーを飲んだ。残った食べ物も、少しづつ、ゆっくり食べた。
彼女が最後に注文したレモンサワーの二杯目を飲み始めた頃、スマートフォンを出して、空白のメッセージ画面を見つめながら、考え始めた。
一番伝えたいこと。そして、彼女の好きなところ…
色々な言葉が、思いが、おぼろげに浮かんでは消えた。
ただ、決まっていた。本当は、初めから決まっていた。どうしても伝えたい言葉があった。
家を出てくる前に見た、木瓜の花についた蕾を、たった一つの小さな蕾を思い返しながら、ゆっくりと、スクリーンの文字を滑らせた。
「お客様、そろそろ閉店のお時間となります。」店員が、申し訳なさそうに僕に声をかけた。
「わかりました。出ます。」と伝えて、店を見渡すと、客はもう、誰一人いなかった。並んだグラスも、半分残ったミートソーススパゲティも消えていた。
手元のスマートフォンを見た。23時28分と表示されている。32分後、これを彼女に…34歳になった彼女に…
「どうかしている」と、口に出しそうになった。
小さなスクリーンに、“101”という数字と共に、小さな文字が踊った。
「春を連れて来てくれそうなところ。」
残りのレモンサワーを飲み干した。無糖と言われたけれど、なんだかほのかに、甘かった。
新しい季節の味がした。