Vol.46『100と1つ』Episode.1
あと30分だった。でも、充分だ。残りのお酒を飲み干した。無糖と言われたけれど、なんだかほのかに、甘かった。ちょうどいい。
もう少しだけ付き合ってくれ…そんな思いでコートを着て、店を出た。
外は何かを諦めるにはうってつけなほどに冷えていた。空気も風も気を引き締め直すように、二月を、冬を、しっかりと演じていた。
それでも、手が届くような気がした。手を伸ばせば、三月に、春に、届くような気がした。
彼女のおかげかもしれない。33歳のままの彼女のおかげかもしれない。
僕は、伝えなければならない。
腕時計を見た。あと、25分あった………
………月曜日の22時過ぎに、家からほど近いファミリーレストランに向かった。
“そこにいる”と、友人からメッセージがあった。そう伝えられただけなのだけれど…とにかく向かった。
店に入ると、店員に来店人数を聞かれ、一人だと答えると、好きな席に座るように促された。
客もまばらな店内を見渡すと、すぐに、一番端の席に座る彼女を見つけた。ただ、まるで雰囲気が違っていた。
彼女も僕に気付いたようで、笑いながら、手招きをした。
席に着くと、「久しぶり」と彼女が言った。僕も「久しぶり」と言った。
そして、「来たんだ」と僕の目を覗き込みながら彼女が言った。僕はただ頷き、コートを脱いで、彼女の向かいに座った。
テーブルの上には、山盛りのポテトと唐揚げ、そして、ピザが一枚と大皿のサラダが並んでいた。“来たんだ”と言うような量ではなかったし、どれも手が付けられていなかった。テーブルの端には、空のコーヒーカップが置かれていた。
彼女は、やけに汗をかいたジョッキグラスで生ビールを飲みながら、「何か飲んで」と、タブレット端末を指差した。
僕が少し戸惑いながら、タッチパネルで生ビールをタップするのを見届けると、彼女は左手を差し出した。
僕が首を傾げると、彼女は右手で脇に置いた僕のコートを指差しながら、「ポケットが膨らんでたよ」と言った。
僕は苦笑いをしながら、コートのポケットから箱を取り出し、彼女に差し出した。
「開けていい?」と彼女は言った。
「もちろん」
彼女は、丁寧にリボンを取り、包装紙を剥がした。そしてゆっくりと箱を開けた。
「アレクサンドル ドゥ パリ…」と言って、「ありがとう。可愛いいね。」と笑顔を見せた。
「ごめん」と僕は謝った。
「どうして?」と彼女が驚いた。
「髪を切ったなんて知らなかったから…」
「あぁ」と彼女は笑いながら、「全然大丈夫。また伸ばすつもりだし」と笑った。
彼女の髪は、肩より短く切り揃えられていた。僕が渡したのは、ヴァンドームクリップという、10.5cmの大きなヘアクリップで、背中まであった長い髪をアップする時にでも使ってもらえればと思って…用意したものだ。
「ねぇ…ちゃんと言って」と彼女は言った。
「それじゃあ、一日早いけれど…」と僕が言ったところで…間が悪く、店員がビールを運んで来てしまった。
彼女が吹き出し、僕も笑った。
「改めて…」と言って、僕が運ばれたジョッキグラスを掲げると、彼女も掲げた。
「誕生日おめでとう」
僕達は、静かにグラスを合わせた。
「ありがとう」と、彼女はもう一度笑顔を見せて、美味しそうにビールを飲んだ。
僕がグラスを置くと、「どんどん飲んで、どんどん食べてね」と彼女が言った。
「どうしたの?」
「このお店、23時半までなんだって」と、目を合わせずに、静かに言った。
「誕生日までいられないんだね」と僕が言った。
「うん…。だから、早く飲んで、早く食べて、どんどん言ってくれないと間に合わなくなっちゃう」
「どんどん言う?」
「私のどこが好きか100言って」…そう言うと、いたずらに笑った。
僕は「なるほど…」と言って、「オーケー。100と1つ…101言うよ」と、笑った。
……次回のVol.47『100と1つ』Episode.2に続きます。