『黒紅色を待つ』
まだ、風の冷たい春の日、“平凡”なそれに出逢った。僕は一目惚れをし、たった千円札一枚で、それを連れて帰った。来月で、あれから一年が経つ。今はまだ、それには蕾の一つすらない…
去年の3月に、確かTwitterでも少しだけ書いたのだけれど、近所のホームセンターに何かを買いに行った帰りがけに、たまたま、小さな木瓜の鉢植えを見かけた。
黒紅色の花が、少しだけ咲いていた。可憐で、でも何処か力強くて…すぐに心を奪われた。元々、好きな花でもあった。
迷わず手に取って、レジへと引き返した。外でも買えたようだけれど、よく分からずに、店の中で買った。値段を見るのも忘れていたけれど、990円だった。
去年の春は、この花に楽しませてもらった。そして、再び黒紅色が花開くことを心待ちにしている。
この花が咲くのは、順調にいって3月の初旬ぐらいだろうから、まだ2月になったばかりで、気が早いのだけれど…
最近、大河ドラマや映画の番宣で、木瓜を家紋に用いていた織田信長の話題を聞く機会が多かったり…
『KENZO』のアーティスティック・ディレクターにNIGO氏が着任して以来、アイコニックなモチーフとして登場している「ケンゾー ボケフラワー」を、2023-24AWコレクションの画像でも多く見かけたりして…
なんだか、我が家の鉢植えにも、早くその花弁を見たくて…ソワソワしている。
いずれにしても、僕は何故だか、この木瓜という花がとても好きだ。去年の出逢いに感謝している。
この花に出会った頃は、毎日がどこか彩りに欠けていた。そして重苦しい空気が日常を支配していた。
あの時、一週間ほど前には、海の向こうで、あの侵攻が始まった。僕の暮らす街には“まん防”なる措置が施され、店は休業中だった。
そんな折に、出逢った花だった。
この木瓜という花には、よく耳にする「先駆者」や「熱情」、或いは「妖精の輝き」といった花言葉の他に、「平凡」というそれがあることも、その時に知った。
あれから一年…あの侵攻とそれに対する抗戦は続いている。件の感染症はまだ、日常を蝕んでいる…
去年の春にも筆にした。そして今年も春を前に、同じ想いを抱いている。
小さな黒紅色の花がもたらすものは、確かに『平凡な幸せ』なのだろう。
ただ、今こそ噛み締めるべきなのかもしれない。
その尊さを、その愛おしさを、そして、その儚さを…
風の冷たい春の日に出逢い、千円札一枚で手にした一鉢の花。それは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。
大切にしたい。
小さな赤紅色が花開くのを、本当の春が訪れるのを、ただただ待つことしか出来ない、相も変わらず、ひどく平凡な僕なのだけれど…