『Ray』
とても柔らかかった。触れたくなるような、抱きしめたくなるような…そういうものがいい。わかってはいる。ただ、気付くと、それはひどく煩く、ひどく不格好になって、スクリーン上に羅列されている。まるで、ブルーシートに並べられた電車内の落とし物や、交番に届けられた拾得物みたいに。
勘弁してくれ…そう、ため息をついても仕方ない。全て、自分の指先が蒔いた種なのだから…
今、こうして書いている長ったらしい文章を、いつしか勝手に『今宵も、閉店に寄せて…』などと題して、定休日の火曜日と水曜日、そして金曜日以外は、SNSやホームページの日記に、自分で撮影した拙い写真と載せ始めて久しい。
何故、飲食店の“看板の時間”にそんなものが必要なのか…もはや自分でも分からないのだけれど。
そもそもはTwitterで、看板の時間に、その日の閉店のご挨拶をさせて頂いていた。ただ、ちょっと思うところがあって…Twitterの140字以内に収まるように、好きなスポーツのその日の話題を、少し付け足した。
それが段々と、スポーツだけではなくなり、いつしか2tweetになって…やがてInstagramで、文字数を意識しなくなって、Facebookやホームページにも載せて、Twitterはそのリンクだけになり、今に至る。
ただ、Instagramにしても、初めの頃は、「ラ・フランスを貰って」どうこうといった、手短かなものだったはずなのだけれど、どんどん煩く、不格好になり…
ついに、先日金曜日の『The Long Goodbye』なる投稿では、2,200文字らしいInstagramの文字数上限に達し、いつも載せているタグが入らない事態に…
極めつけは、昨日の『ギフト』と題した投稿で…たまたま見かけたという知人から、コメントではなく、LINEで(おそらくはそのあまりにもどんよりとした空気感を見兼ねて)、「なんだか、大変なことになっているね 笑」と、愛のある?メッセージを頂く始末で…
猛省です。
まぁ、一番の対処策は「やめちまえっ」ということなんだろうけれど、ここまでやってしまったのでご勘弁頂き 笑
何らかの対処を…と、なればやはり初心にといことになるのだろうけれど…うん、初心?
初心と言えるかは分からないけれど、そもそもは、『希望』という言葉を忘れたくはなかった。閉店の、1日の終わりに、明日へのそれを忘れたくはなかった。甘っちょろいと、綺麗事と笑われるかもしれない。まるで見当違いと首を傾げられるかもしれない。それでも、ささやかだけれど、そんなスタートだった。
この時代…『希望』を何に見出すかはそれぞれだ。スポーツかもしれない。音楽かもしれない。漫画でも小説でもアートでも何だっていい。美味しい料理だっていい。もちろん、大切な誰かだっていい。
ほんの一筋の光でも、明日へのそれを忘れたくはない。触れたくなるような、抱きしめたくなるような、とても柔らかなそれを…
おっとまた、この指が、この筆が長ったらしく 笑
これだけ書いておいて、明日からもまるで代わり映えしなかったら…本当に申し訳ない…
いずれにしても、これからこの場所にどんなものが並べられるかは、僕自身にも分からない。それでも、その何処かに必ず、甘っちょろい綺麗事があったらいい。一筋のそれがあったらいい。
煩く、不格好だけれど、今宵も、閉店に寄せて…