2023-01-28 22:30:00

『ギフト』

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 あの冬、あの1月も、僕は無力だった…

 

 昨日も、週の半ばも、この街に雪は振らなかった。それでも、冬を誇示するように、この季節の意味を片時も忘れさせないように、風が執拗に窓を強く揺らした。

 

 明日は、北陸と新潟に大雪の予報が出ている。自然が猛威を振るわないよう、切に願う。願う…僕にはそんなことぐらいしか出来ない。相も変わらず、僕は無力だ…

 

 先週の水曜日、急用で父が神戸に行った。母は事情があってどうしても同行出来ず、僕もどうしても調整が付かずに、こちらに残った。

 

 その日は、風もなく、前日より寒さも和らぎ、こちらは過ごしやすい夜だった。

 

 別用で出掛けていた母が戻った。見るからに疲れていたので、先に休んでもらった。

 

 何時頃だろう?前日よりバタバタして失った時間の感覚を、スムーズに取り戻せずにいた。

 

 いずれにしても、ちょっとした仕事の残りを済ませて、おそらくは、いつもよりかなり早目の夕食を取った。

 

 酒のあてやツマミは何もなかった。夜に炭水化物を取ることはあまりないけれど、貰い物のうどんが残っていたので、仕方なく、硬めに茹でた。つゆを作るのが面倒だったので、フライパンでバターと軽く炒め、やはり貰い物の明太子と和えた。

 

 店の冷蔵庫とは違って、キッチンで大きな顔をする時代遅れの冷蔵庫には、ほとんど何も入っていなかった。

 

 大葉はもちろん、レモンもなかった。仕方なく、沖縄の友人が置いていったシークァーサーで、温まった明太子の臭みを飛ばした。おざなりに、やはり誰かが置いていったアサクサ海苔を刻んで乗せた。

 

 出鱈目な有り合わせの料理に贅沢は言えないけれど、アルデンテのパスタというわけにはいかなかった。

 

 キリンのラガービールで流し込んだ。

 

 普段は、大のアサヒビール党だ。スーパードライで喉を潤すのが好きだ。

 

 ただ、散々に飲み尽くした後の締めの一杯、或いは、1人で静かに飲むには、ラガーの苦味が良く合う。

 

 適当にチャンネルを合わせたニュース番組のスポーツコーナーが終わり、二本目のラガービールが空になった頃、携帯電話が鳴った。

 

 父からだった。今日の用事が終わり、新神戸駅近くに取ったホテルの部屋に着いたとのことだった。労をねぎらい、こちらの様子を少し伝えて、電話を切った。

 

 神戸…

 

 あの日から28年と1日の歳月が流れていた。

 

 1995年…

 

 それは、僕にとっては個人的に愚かな年であり、社会にとっては、酷く悲しい年だった。

 

 1月の自然災害と2ヶ月後の人為的事件により、多くの命が奪われた。多くの人が今までの生活を奪われた。

 

 その「多く」は、彼等である必要がなかった。その「多く」のうちの1人は、僕であっても不思議ではなかった。ただ、僕ではなかった。

 

 それから28年の月日の中で、やはり幾つかの自然災害と幾つかの人為的事件でも、多くの命が奪われた。多くの人が今までの生活を奪われた。

 

 そしてまた、その「多く」は、彼等である必要がなかったし、その「多く」のうちの1人は、僕であっても不思議ではなかった。ただ、やはり、僕ではなかった。僕以外の今を生きる誰かでもなかった。

 

 僕は、貰い物に生かされている…

 

『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』

 

 いつだか手にした小説に、そんな言葉があった。

 

 死ぬか生きるかではなく、元々、この生の中に、死は存在している。そうなのかもしれない。

 

 ただ、こうも思う。それがどうした?

 

 僕は、貰い物に生かされている。この命だって、貰い物だ。

 

 それは既に死に捉えられているのかもしれない。でも、それがどうした?

 

 そうだとしても、そうでなくとも、僕は考えなければならない。動き、生きなければならない。

 

 そうしたくてもそうできなくなってしまった誰かのためにと、そんな大それた事を言える僕ではない。

 

 けれども、その誰かを意識しないわけにはいかない。

 

 やがて、違う誰かにこの命がギフトとして届くまで…

 

 ラガーの苦味に飽き、ウィスキーを水割りにして飲んだ。それが、貰い物かどうかは忘れた。

 

 いずれにしても、あまり酔えなかった。

 

 グラスの中で氷が溶け、琥珀色が少しずつ、透明に近づいた。

 

 何かを求めて冷蔵庫を開けた。そこはもう、空っぽだった。