『ギフト』
あの冬、あの1月も、僕は無力だった…
昨日も、週の半ばも、この街に雪は振らなかった。それでも、冬を誇示するように、この季節の意味を片時も忘れさせないように、風が執拗に窓を強く揺らした。
明日は、北陸と新潟に大雪の予報が出ている。自然が猛威を振るわないよう、切に願う。願う…僕にはそんなことぐらいしか出来ない。相も変わらず、僕は無力だ…
先週の水曜日、急用で父が神戸に行った。母は事情があってどうしても同行出来ず、僕もどうしても調整が付かずに、こちらに残った。
その日は、風もなく、前日より寒さも和らぎ、こちらは過ごしやすい夜だった。
別用で出掛けていた母が戻った。見るからに疲れていたので、先に休んでもらった。
何時頃だろう?前日よりバタバタして失った時間の感覚を、スムーズに取り戻せずにいた。
いずれにしても、ちょっとした仕事の残りを済ませて、おそらくは、いつもよりかなり早目の夕食を取った。
酒のあてやツマミは何もなかった。夜に炭水化物を取ることはあまりないけれど、貰い物のうどんが残っていたので、仕方なく、硬めに茹でた。つゆを作るのが面倒だったので、フライパンでバターと軽く炒め、やはり貰い物の明太子と和えた。
店の冷蔵庫とは違って、キッチンで大きな顔をする時代遅れの冷蔵庫には、ほとんど何も入っていなかった。
大葉はもちろん、レモンもなかった。仕方なく、沖縄の友人が置いていったシークァーサーで、温まった明太子の臭みを飛ばした。おざなりに、やはり誰かが置いていったアサクサ海苔を刻んで乗せた。
出鱈目な有り合わせの料理に贅沢は言えないけれど、アルデンテのパスタというわけにはいかなかった。
キリンのラガービールで流し込んだ。
普段は、大のアサヒビール党だ。スーパードライで喉を潤すのが好きだ。
ただ、散々に飲み尽くした後の締めの一杯、或いは、1人で静かに飲むには、ラガーの苦味が良く合う。
適当にチャンネルを合わせたニュース番組のスポーツコーナーが終わり、二本目のラガービールが空になった頃、携帯電話が鳴った。
父からだった。今日の用事が終わり、新神戸駅近くに取ったホテルの部屋に着いたとのことだった。労をねぎらい、こちらの様子を少し伝えて、電話を切った。
神戸…
あの日から28年と1日の歳月が流れていた。
1995年…
それは、僕にとっては個人的に愚かな年であり、社会にとっては、酷く悲しい年だった。
1月の自然災害と2ヶ月後の人為的事件により、多くの命が奪われた。多くの人が今までの生活を奪われた。
その「多く」は、彼等である必要がなかった。その「多く」のうちの1人は、僕であっても不思議ではなかった。ただ、僕ではなかった。
それから28年の月日の中で、やはり幾つかの自然災害と幾つかの人為的事件でも、多くの命が奪われた。多くの人が今までの生活を奪われた。
そしてまた、その「多く」は、彼等である必要がなかったし、その「多く」のうちの1人は、僕であっても不思議ではなかった。ただ、やはり、僕ではなかった。僕以外の今を生きる誰かでもなかった。
僕は、貰い物に生かされている…
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
いつだか手にした小説に、そんな言葉があった。
死ぬか生きるかではなく、元々、この生の中に、死は存在している。そうなのかもしれない。
ただ、こうも思う。それがどうした?
僕は、貰い物に生かされている。この命だって、貰い物だ。
それは既に死に捉えられているのかもしれない。でも、それがどうした?
そうだとしても、そうでなくとも、僕は考えなければならない。動き、生きなければならない。
そうしたくてもそうできなくなってしまった誰かのためにと、そんな大それた事を言える僕ではない。
けれども、その誰かを意識しないわけにはいかない。
やがて、違う誰かにこの命がギフトとして届くまで…
ラガーの苦味に飽き、ウィスキーを水割りにして飲んだ。それが、貰い物かどうかは忘れた。
いずれにしても、あまり酔えなかった。
グラスの中で氷が溶け、琥珀色が少しずつ、透明に近づいた。
何かを求めて冷蔵庫を開けた。そこはもう、空っぽだった。