2023-01-26 22:30:00

『The Long Goodbye』

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 “長いお別れ”の後、今夜、二人は再会した。いったい、どれぐらいの月日が流れたのだろう。おそらく、正確なそれには意味がない。ここで偶然に、二人は再び出会った…ただ、それだけだ。そしてそこに、たまたま僕が居合わせた。そう、それだけなのだけれど…

 

 先週、仕事関係の知人と食事をした帰り、地元の友人から連絡があった。所用で長崎に行き、お土産を買ってきてくれたらしい。それを渡すがてら、一杯やろうとのお誘いだった。お互い食事を済ませ、お酒もある程度入っているので、あくまで“軽く一杯”とのことだった。地元のJRの駅で待ち合わせをした。

 

 駅から程近い、前々から気になっていたけれど、なかなか機会がなく、行けずにいたバーに入った。

 

 バーテンダーのマスターの他には、カウンターの一番手前の席に、二人連れのお客さんが一組いるだけだった。

 

 シェイカーを小気味良く振るマスターに促され、僕達はカウンターの一番奥に座った。

 

 心地良いシャンソンの奥で、振り子の柱時計が緩やかに時を刻んだ。バックバーには、年代物から見たことのないウィスキーや様々なお酒のボトルがぎっしりと、でも整然と並ぶ…

 

 趣きのある、静かなオーセンティックバーだった。

 

 僕は喉を潤したくて、パッと目に入ったオールドパーをハイボールで頼んだ。80年代流通のそれらしかった。友人は、ブランデーベースのカクテルを頼んだ。

 

 僕も友人もタバコを吸わない。もう一組のお客さんも吸っていない。ただ、残り香だろうか?微かに葉巻の香りが漂った。

 

 パーを飲み干しても、やはりウィスキーが飲みたくて、マスターに次の一杯のためにと、好みを伝えていると、友人がカクテルを空け、何やら不思議そうにマスターを凝視していた。

 

「どうした?」と、僕が尋ねると、友人が答える前に、マスターが「そうだよ」と彼に言って、ニヤリと笑った。

 

「そうだよね」と友人が言った。

 

 そして、お互いがお互いの名前を呼び合い、頷いた。

 

「こんな偶然て、あるか?」と友人が言った。

「びっくりだね」とマスターが言った。

 

 二人とも「久しぶり」と満面の笑みを見せた。

 

 マスターは「ちょっと待って」と言って、手際よくボトルを選んで、僕にウィスキーハイボールを置き、軽やかにシェイカーを振って、彼にカクテルを置いた。

 

 程なくして、もう一組のお客さんがチェックし、店を後にした。

 

 それから二人は、ゆっくりと話を始めた。何かを慈しむように。

 

 彼等は、大学受験の浪人時代に、同じ予備校に通っていた。当時、毎日のように顔を合わせた。二人は友人だった。ただ、少し離れた別々の大学に進んだこともあってか、何故か大学生になって以降、連絡を取ることはなくなった。

 

 マスターは、大学在学中にバーでアルバイトをしたことがきっかけで、この仕事に魅了され、卒業後、バーテンダーの道に進んだ。いくつかの店を渡り、7年前にこのバーを自分で開いたという。

 

「嬉しいよ、本当に嬉しいよ」と、友人は何度も繰り返し、美味しそうにマスターのカクテルを味わった。僕まで、本当に嬉しい気持ちになって、何度も友人と乾杯した。柱時計がカチカチと拍手のように祝福をしているようだった。

 

 マスターは、高価なシングルモルトウイスキーではなく、気軽に、でも確かな味わいを楽しめる幾つかのウィスキーをチョイスし、ハイボールを作ってくれた。どれも美味しくて、何より僕の好みで、驚きながら堪能した。

 

 友人は、同じものではなく、好きなカクテルを、昔話の代わりのように、一杯ずつ頼んだ。どれを飲んでも、本当に美味しそうに笑った。

 

 マスターも、静かな佇まいながらも、嬉しそうに柔らかな笑顔を見せた…

 

「今日はありがとう」と、最後のサイドカーを飲み干し、友人が言った。

 

「こちらこそ、本当にありがとう」とマスターが言った。

 

「必ず、また来るよ。何しろ、すぐそばのマンションに住んでるんだから」と友人が笑うと、「いつでもお待ちしております」と、マスターも笑った。マスターは僕にも同じ言葉をくれた。

 

 そして、友人が照れくさそうに手を振り、マスターがぎこちなく会釈をし、僕達は店を後にした。

 

 僕は不思議だった。

 

 僕の知りうる限り、友人の一番好きなカクテルは、ギムレットだ。ただ、彼は今夜、ギムレットを一杯も飲んでいない。

 

 

 レイモンド・チャンドラーの『The Long Goodbye(=『長いお別れ』)』ではないけれど、ましてや、友人とマスターが、フィリップ・マーロウとテリー・レノックスではないけれど…

 

 あの台詞を思い出した。

 

「ギムレットには早すぎる」

 

 いずれにしても、小説とは、台詞とは裏腹に…今夜、趣きのある、静かなオーセンティックバーで再会した二人には、もう、その“長いお別れ”が訪れることはない。