『1月のサザンカ』
冬の桜並木を一人歩いていた。空虚な木々の間を、乾いた風が音も立てずに吹き抜けた。辺りは息を潜めるように静かで、僕の息遣いが隣町まで届くほどに響いた。
冷え切った体は、誰かにリモートコントロールされているように自由が効かなかった。久しぶりに履いたパテントレザーの靴が馴染まず、踵が痛み出した。すっかり酔も冷めていた。
それでも、十分だった。あのピンク色の一輪で、十分だった。
駅へと急いだ…
先週の土曜日、ちょっとした用があって、夕刻過ぎに、自宅から3駅ほど離れた親戚の家に足を運んだ。
叔母も従兄弟も、手厚くもてなそうとしてくれたけれど、従兄弟の奥さんのご家族もいらしていたこともあって、用件だけ伝えさせてもらうことにした。
初めにあまり愉快ではない話をして、次にとても愉快な話をして、最期にどちらでもない話をして…何もなかったような気分でおいとました。
帰り際、叔母がピスタチオのジャムを持たせてくれた。目尻にクシャッとシワの寄る変わらない笑顔にホッとした。
このまま、家に戻っても良いのだけれど、家族も出掛けているので、叔母の家から程近い桜並木が立ち並ぶ通りにある、寿司屋に寄っていくことにした。
遅くまでやっている店で、以前は散々飲んだ後の締めの握りにと…よく通ったけれど、もう、何年もご無沙汰していた。
久しぶりに暖簾をくぐると、珍客に驚く素振りもなく、親方が「いらっしゃい」と微笑んでくれた。
カウンター席には、他に二組お客さんがいた。一番端の席に座って、瓶ビールを飲んだ。気付かないうちに、よほど喉が乾いていたのか、お通しに箸を付けないまま、すぐに瓶は空になった。
つけ台にコハダを置いてもらい、以前と同じように、いいちこのフラスコボトルを水割りで飲んだ。
この数年を埋め合わせるように、親方ととりとめのない話をしながら、刺身とギョクを肴に水割りを味わった。
炙ってもらった穴子をほうばりながら、ふとテレビに目をやると、店に入った時に流れていた、子供がおつかいに行く番組は終わっていて、知らないバラエティー番組に変わっていた。
テレビの傍らに、ゴルフ好きの親方らしく、TaylorMadeのカレンダーが吊るされていた。菊地絵理香プロのスイングの下に並ぶ数字が嫌でも目に入った。
1月7日…。新しい年を迎えて、もう7日が過ぎていた。この連休が終われば、本格的に当たり前の日常が始まる。
いや…なんだろう?当たり前の日常?突然に、その意味がわからなくなった。そして、それを考え、きちんと整理するのには、もう、遅いような気がした。
グラスの残りを飲み干し、握りを食べないまま会計を済ませた。親方に、そう遠くない内にまた来る約束をして、店を後にした。
駅に向かって、桜の並木通りを歩き始めてすぐに後悔した。店でタクシーを呼んでもらえばよかった。
寒さが、頭の中まで固まらせて、歩く度にそれが割れてバラバラになり、また固まって…そんなことを繰り返しているような気分になった。
まったく飲みたくなかったけれど、缶のホットコーヒーでも買って、手袋の上から握りしめたくなった。コンビニエンスストアは、駅の近くまで無いのはわかっていた。仕方なく自販機を探していると、唐突に鮮やかなピンク色が目を奪った。
サザンカの花だった。
やはり用があって、12月にこの道を通った時は、満開に咲いていたけれど、今はもう、ほとんど枯れ落ちてしまっていた。ただ、堂々と、でも可憐に咲き誇る一輪のピンク色が、1月の寒空の下、僕を捉えた。
サザンカの花言葉を思い出した。どうでも良かった。さっきまで考えていたことも、タクシーを呼ばなかった後悔も、もう新しい年が始まって久しいことも、ましてや缶コーヒーも…何もかもが、もう、どうでも良かった。
美しい。それだけだった。それだけで良かった。
空虚な木々の間を、駅へと急いだ。